「本を書く医師」が医学情報をわかりやすく伝えます
|
||
|
見ているけれど見えてないんだよ ~心ここにあらざれば~ こんにちは。キーウィです。 知人に射撃の名手がいます。と言ってもプロのスナイパーやオリンピックの射撃選手ではありません。お祭りや遊園地にある射的の名人なのです。銃をすっと手に取ると次の瞬間には撃ち、続いてコトンというお菓子の落ちる音が聞こえます。そしてどよめきに包まれながら次の弾玉を込めて同じ流れを繰り返します。 射的のコツとして、落ちそうになっている箱を探せとか、箱のバランスが崩れそうな部分を撃てと言います。でも、結局のところ、難しいのは自分の狙い通りの場所を撃つことです。 名人に 「他の人とどこが違うのだと思いますか」 と聞いたところ、「照準をしっかり合わせて撃てば当たるよ。そういう風にできてるんだから」 と言うので、さらに 「でもみんなも照準は合わせてるんですよね?」 と言うと、「合ってないんだよ。合わせてるつもりなのかもしれないけど、見てるだけで合ってないんじゃないかな」 という答えが返ってきました。 印象深い言葉ですね。儒教の経典 「大学」 の一節に似ています。 「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味、此謂修身在正其心」 (こころここにあらざれば、みれどもみえず*、きけどもきこえず、くらえどもそのあじをしらず。これ、みをおさむるはそのこころをただしくするにありという。) *正確には 「見れども見ず、聞けども聞かず」 ですが、ここでは一般に広まっている読みを採用します。 「よそに気を取られていると、たとえ視線を向けていてもその物が目に入らない。これと同じく、身を修めるには先ずその心を正さなくてはならない。」 比較的意味の近い英語の表現はいくつかありますが、その一つが The eye is blind if the mind is absent. です。これは eye と blind、mind、そして blind 、mind、absentが韻を踏んでいます。 物は目で見て、音は耳で聞きます。しかし少し科学的に言うと、目や耳は光や音の信号を捉えて脳に伝えているだけで、実際にその信号を映像や音声に置き換えて理解しているのは脳です。そして脳はすべての信号に反応するわけではなく、自分にとって意味のある信号だけを選んで理解しているのです。 実際、脳科学の研究でも、意識を他に向けていると目の前に置いてあるものが大きく変わっても、脳の中で視覚信号に反応するはずの視覚野という領域が活動しないことが分かっています。 つまり物をしっかり見るには自分の意志で、目的を持って、視線をしっかり向けて見る必要があるわけで、射的名人はこんなふうに照準を合わせているのかもしれません。 これは何かを見たり聞いたりする時の話だけではありません。例えば情報リテラシーです。情報リテラシーとは収集した大量の雑多な情報から必要なものを漏らさず選び出し、再構成して新しい事実を把握する能力のことで、そのためには目的をしっかり持って個々の情報に心を集中させる必要があります。心を真っ直ぐ向ける。ここにすべてかかっているということです。 |
|
Copyright (C) 2011 「本を書く医師」事務所 All Rights Reserved. |